インドアなアウトドア

可愛いアウトドアグッズを日常に取りいれたい

アウトドアブランドを知る【Patagonia(パタゴニア)】

モンベル をこの間書いて、その次は…やっぱりPatagoniaかなぁ。

なんだかんだと有名で、ファンもとても多いと思う。日本に入ってくる時は値段がくそ高い…とか色々あるけど、パタゴニアのフリースは大好きだ。
で、そんなPatagoniaはどうやって出来たか。

パタゴニアヒストリーとかウィキペディアを参考にまとめてみたので、興味のある人は読んでみてくれ。

パタゴニアヒストリーは引用アウトっぽいので引用なし。個人的に読みにくかったってのもあって、面白かったとことかパタゴニアの途中の歴史までをピックアップしてまとめてます。)

パタゴニアの歴史

1950年代 - 独学で鍛造、生産

Patagoniaの創設者イヴォン・シュイナード。彼は14歳でクライミングに出会い、その魅力にとりつかれ、やがてビッグウォール・クライミングを学びにヨセミテに。

このヨセミテ。1984年に世界遺産に登録されてるんだけど、そそり立つ白い花崗岩の絶壁が有名。

ここのマルチピッチ(※1)の登攀(とうはん ※2)には何百というピトンが必要で、当時のピトン(軟鉄製)は一度打ち込んだら引き抜くことはできず、岩に放置されたままだったんだそう。

※1 ロープ1本の長さで登りきれない高い壁(長い壁)を複数に区切って登ること。
※2 山または高所によじのぼること。

そこでイヴォンはなんと、繰り返し使用できるギアを自分で作るため、独学で鍛造を学び始める w すげえ w

彼の作ったピトンの噂はすぐに広まって、仲間からの注文が殺到。

そのうち、イヴォンのギアは急速に需要を増して、手作りでは製造が追い付かなくなる。そこで新しい仲間を加えシュイナード・イクイップメントとして、製造を開始。1970年には、米国最大のクライミング・ギアの製造業者に。

でもクライミング人気が高まり、ギアがますます売れるようになると、ギアの抜き差しにより岩が傷つき、クラック(※3)のダメージが深刻化。

自らが大好きな自然に害を与えるという皮肉な結果になってしまった。

※3 岩の割れ目のうち、人の体の一部―指、手、腕、足などが入る大きさのもの。またはそのような裂け目を含むルートのこと。

そんな現実を直視し、イヴォンはピトンの製造から手を引くことを決断する。

パタゴニアが環境保護へのさまざまな取り組みへをするきっかけとなった出来事だろうね。

そこでピトンに変わる道具として、アルミのチョックを発表。
このチョックを発表したカタログには、山の環境にピトンがどんなダメージを与えるか書いたエッセイから始まっていたらしい。自らの手で作りあげてきた製品の悪影響を伝えるっていうのは、かなりの覚悟がないと出来ないと思う。

結果、カタログ発送後、購入者に想いが伝わり、ピトンに代わってチョックがものすごい早さで売れ始めたそう。

1970年代 - ウェアの輸入業・製造販売開始

昔は男性の洋服といえば、スウェットとズボンが定番。しかも色合いはとてもベーシックなものだったらしい(ホワイト、ベージュ、グレーとか)。

そんな中、イヴォンがスコットランドに行った時にカラフルな公式ラグビー・シャツをクライミング用に買って、これをアメリカに持ち帰った。それがクライミング仲間に大好評。

そこでイギリスなどからラグビー・シャツを買いつけ販売。クライミング・ギアがあまり利益がなかったこともあって、ウェアの販売を続けたんだそう。そのうちシャツ以外の製品も取り扱うようになった。

パタゴニアヒストリー ではいきなり「ウェアの製造販売が増すと」って書かれていたので、ここら辺では既に製造もしてたのかもしれないがどうなんだろう?

とりあえず販売が増したから、ウェア部門専用の名前を付けようっていうことになり、新たなブランド名を探すことに。

ここでようやくパタゴニアという名前が誕生する。

パタゴニアはそもそも南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域の総称をいうけど、この言葉には「はるか彼方の、地図には載ってないような遠隔地」というイメージがあったそうだ。そのイメージがウェア部門のイメージと合致して、パタゴニアという名前になったんだって。

どこの国の人も発音しやすい、ということも重要なポイントだったよう。

1980年代 - シンチラ・フリースとキャプリーン・ポリエステル

このころはまだ、登山をする時もコットンとウールとダウンみたいな保水性のあるレイヤリング。そんな中、パタゴニアは漁師着ていた化繊パイルのセーターに目を付ける。

登山には、水分を吸収せず保温性も備えた、この化繊パイルのセーターのようなものこそ相応しいと考えたんだね。

そこでこのアイデアを試すため、苦労して探しだしたモルデン・ミルズ社の素材でサンプル品を製作し、いろいろな環境下でテストを行った。

結果、とても温かくて、特にシェルと併用した際にびっくりするほど保温効果がある製品が誕生する。しかも乾きやすく、そんなに重ね着しなくてもよくなった。

でもこの製品には弱点が。毛玉になりすい、かさばってゴワゴワする、見た目が微妙…。
特に問題なのが、せっかくこの製品によって外からの寒さや暑さを遮断しても、コットンの下着を着ていてはなんの意味もなくなってしまう、ということ。

そこで1980年に、ポリプロピレンを使った化繊の長袖のアンダーウェアを製造する。

こうしてパタゴニアはアウトドア業界ではじめてこれらのレイヤリングをアウトドア界に紹介する企業になった。
山からコットンやウールが姿を消し、パタゴニアの推奨するレイヤリングシステムが普及するのにあまり時間はかからなかったそう。

しかし毛玉のできてしまうパイル同様、ポリプロピレンにも問題が。

熱に弱く、コインランドリー等の強力な乾燥機を使うと、生地が溶けてしまったのだ。さらに、ポリプロピレンは水を弾いてしまうため汚れを完全に落とすことが難しく、また臭いが消えない。さらに吸湿発散性は20回ほど洗濯をするとその効果が消えてしまうというもの。

そこでパタゴニアではどちらの素材についても品質の向上を目指し、問題点の改良に励む。

パイルの改良

パイルの改良は段階的に進んだ。

モルデン社と緊密に開発を進め、まずは毛玉のできにくい柔らかなバンティング素材から、そして最終的にさらに柔らかく、まったく毛玉ができない両面起毛のシンチラ素材を開発。

ポリプロピレンからポリエステルへ

一方、ポリプロピレンの代替素材はこういった開発を経ることなく、偶然に出会うことになる。

1984年にスポーツ用品の展示会場を見学していたイヴォンは、しみのついたポリエステル製のジャージを洗濯する実演を見かける。ポリエステルはポリプロピレン同様、糸のような細い繊維状の溶解プラスチック樹脂からできており、プラスチック繊維は非常に滑らかなので、通常の洗濯方法だと洗剤と水を弾いてしまい、汚れをしっかり落とすことができない。

でもこのジャージを製造していたミルケン社は、繊維の表面に恒久的な加工を施し、表面に親水性を持たせていた。さらにこの加工は洗濯しても効果が薄れないという優れもの。商業用乾燥機の使用で繊維が溶けることもなかった。

イヴォンはこれがアンダーウェア用の生地に最適であると考え、1985年の秋にはポリプロピレン製のアンダーウェアすべてを新開発のキャプリーン・ポリエステルに切り替える。

さらに同シーズン、新製品シンチラ・フリースを発表。

この切り替えは1972年にチョックを発表した時と同様、大きなリスクを伴うものだったけど、愛好者達はキャプリーンとシンチラの長所を即座に実感し、売上は急上昇する。

シンチラの開発でパタゴニアは重要な教訓を学ぶ。モルデン・ミルズ社の資金力のおかげでさまざまな革新が実現したのと同時に、パタゴニアが研究開発プロセスを積極的に構築していたからこそ、こうした素材の開発ができたのだ。それ以来、パタゴニアは研究やデザインに多大な投資を続けていく。

環境問題にも力をいれていたパタゴニアは、1980年代半ばから再生紙を使ったカタログ制作に切り替え、さらにモルデン・ミルズ社との協力でリサイクルしたペットボトルから再生ポリエステルを作り、シンチラ・フリース素材に採用した。


とまあこんな感じで、パタゴニアがフリースに強いわけが分かるよね。
また、パタゴニアっていう企業の姿勢とか考えとかが伝わってきて非常に面白かった。

日本の捕鯨問題とかでは、ちょっと…って思う部分があったりするんだけどね。日本の一部の地方の文化だからそれはそれで大事にしてやってよ、て。でも実際のところ自分がその場にいないから、本当のことは分からない。だけど、歩み寄れたらいいよね。